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エンデレ教会様へ

 投稿者:大森  投稿日:2015年 7月26日(日)15時03分57秒
返信・引用
   管理人が一年以上管理を怠り、せっかくの書き込みを無視する形になり、すみませんでした。真に申し訳ありません。
 明治時代の宗教については、この掲示板の兄弟掲示板である、「日本人の宗教と宗教心」において様々な形で論じておりますので、参考にしていただければ幸いです。http://8606.teacup.com/meizireligion/bbs/?
 
 

神の意志と人間の意志

 投稿者:大森  投稿日:2015年 7月26日(日)08時09分5秒
返信・引用 編集済
  私は最近、ギリシャ語の新約聖書を日本語と見比べながら、読んでいます。
その中で、「θέλημα(セーレマ)」という言葉について発見があったので書きます。
この「θέλημα(セーレマ)」という言葉は、日本語では、「みこころ、」と訳されていることが多い言葉です。
代表的な箇所は、主の祈りの、「みこころが天になるように、地にもならんことを」の中の「みこころ」が、「θέλημα(セーレマ)」です。
 私は、今回ヨハネ伝福音書で、「θέλημα(セーレマ)」を見つけました。「わが天より降りしは我が意(こころ)をなさんためにあらず、我を遣ひし者の御意(みこころ)をなさんためなり」(6章38)ここで「意(こころ)」や「御意(みこころ)」と書かれているのがθέλημα(セーレマ)です。

 私のギリシャ語聖書の対訳では、その言葉を「意志」と訳していました。

 また、カトリックフランシスコ会訳聖書でも、その箇所のセーレマを「意志」、「ご意志」と訳しています。それは私には大変興味深いことでした。

 十字架の聖ヨハネが「カルメル山登攀」の中で、こう書いています。
「自然に生じてくる欲望というものは、それが意志によって承諾されず、第一衝動と言われる域を出るのではなければ、少しも神との一致を妨げはしないからである。」
 この言葉は私を驚かせました。
 私は、十字架の聖ヨハネのような人は、魂が完全に清められることを勧めていると思っていました。しかし彼は、意志が同意するかどうかということを非常に重く見ているのです。 十字架のヨハネのような、欲望の克服者が、欲望を意志が承諾しなければ、存在しても、神との一致を妨げないと主張したことが興味深かったのです。

 そのことが念頭にあり、私は、主の祈りやヨハネ伝福音書6章の「みこころ」という言葉が「θέλημα(セーレマ)」であり、「意志」と訳されることに、非常に興味を覚えました。

 主の祈りの原文の直訳は「神の意志が実現せよ、天のように、地でも」です。
「γένηθητω το θέλημα σου、ώς Єυ ουρανώ καί επί γής」
 地に神の意志が実現するとは、人間が神の意志に従うこと、言い換えれば、人間の意志が神の意志と一致することを示すでしょう。
主の祈りやヨハネ6章の言葉から考えると、神の意志と人間の意志の一致ということがあり得るのです。そして、それが理想の姿なのです。

 神の意志と人間の意志が一致しないということは重大な問題であり、過ちです。
 それは罪です。

 罪とは神の意志と人間の意志の不一致であり、エデンの園のエヴァが善悪の実を食べるところにそれが最初にはっきり示されます。神の意志とエヴァの意志の不一致です。

 罪の無い状態とは、神の意志と人間の意志の一致した状態です。

 おそらく、何らかの神秘主義がそこには想定されるべきなのでしょう。
 神の意志と人間の意志が一致する神秘主義。
 人間の意志という部屋の中に、神が入られる神秘主義。
 人間の意志という管の中に神の意志が流れ込む神秘主義。

 人間の意志が神に従うかどうか、それが問題の根本なのです。この世界が罪に沈んだのも、人間の意志によるものだと聖書は、いうのです。

 考えてみると人間の意志がこんなに重要視される宗教は他にないのではないかと思われます。

 神道には人の意志の問題などないと思われます。

 また仏教は、因果応報、因縁で人間を説明し、そこには原因と結果の因果関係があり、人間の意志は除外されています。

 私は、長年、虐待の連鎖ということについて考えてきました。
 幼年期に虐待を受けた人間は、同じ虐待を自分の子供にするということです。殴られた子供は、自分の子供を殴る親になる。
 それは多く事実でした。それは現実的に真実を示しています。

 逆に言えば、愛された子供は人を愛するようになる。

 私は、虐待の連鎖について考えることで、因果関係に自分の思考が限定されてしまっていました。
 そこには因果だけがあり、主体や意志は想定されていません。

 しかしキリスト教では意志を重視します。意志とは人間の自由の発芽であり、主体性の発揮です。意志によって人間は、自分と世界を変えられると聖書は語るのです。

 意志は、人間の魂の王です。人間の魂の支配者です。意志とは、人間の自由の体現です。
人間の魂を会社に例えるなら、意志は社長です。支配者です。聖書はそれを前提に語るのです。
聖書は、人間の魂を支配する王は、神に服従せよと言います。
 社長室に神を最高顧問として招き入れ、会社全体を神によって支配するようにせよと言うのです。
 因果により罪を犯そうとする原因ができることは、組織に反逆者がいる状態です。
 その問題を解決するには、話を聞いたり、不満を解消する努力が必要でしょう。
 しかし、反逆者を魂の支配者にしてはなりません。反逆者を魂の支配者にすることは、例えば、子供の時に殴られて育った人間が大人になって子供を殴ることです。
 反逆者が魂にいるとしても、魂の支配者は意志です。
 そして人間の意志は神の意志と一致することができます。

 罪からの脱出に、神の意志と人間の意志を一致させることを新約聖書が主張したことは、私には大変興味深いと思いました。
 

自己紹介

 投稿者:エンドレ教会  投稿日:2014年 3月 2日(日)20時35分1秒
返信・引用
  はじめまして。関東某所でアフリカ系が集まるペンテコステ教会の運営を手伝っているものです。政教分離について関心があります。こちらにおける明治初期の宗教政策の記述、大変興味深く拝見いたしました。宜しくお願いします。  

喪中のため新年のご挨拶をご遠慮申し上げます

 投稿者:大森  投稿日:2014年 1月 1日(水)10時55分11秒
返信・引用
     この掲示板の主宰者の一人である木精氏が昨年12月13日に帰天ゐたしました。
 みなさまのこれまでのご厚情に深謝するとともに、今後のお付き合いのほどよろしくお願いゐたします。

 かけがえのない対話者を失い、悲しみがあるとともに、冥福をお祈りしています。

 

大森さん

 投稿者:木精  投稿日:2013年 6月22日(土)19時28分35秒
返信・引用
  ----

 「ねこ」を投稿禁止に指定してください。指定の仕方は、パソコンに詳しい知人の方にお尋ねになってください。さほど難しい操作ではありませんので、下の2件の書き込みの削除も含めて、よろしく!
 

伝道はいかにあるべきか(3)

 投稿者:木精  投稿日:2012年10月25日(木)17時18分32秒
返信・引用
   伝道という行為は、創唱宗教にとって普遍的でもなければ一般的でもないことは、伝道を重く見ない教義を持った創唱宗教の可能性をかんがえれば論をまちません。「伝道しない創唱宗教とはどんなものか?」と大森さんは言われますが、伝道しないとは他者や後世に伝わらないことを含意しますから、それは正しく立てられた問いであるとは思われません。
 それでもあえてお答えするなら、近代日本では幕末維新期・敗戦直後・1970年代以降の3つの宗教ブーム期に簇生した、名があるのかどうかもわからない無数の新宗教の中には、伝道を事としない、それでも宗教的に高度な創唱宗教が生まれただろうことは想像にかたくありません。

 また、他の宗教が伝道を行っている事実をもって、私の言った「キリスト教伝道の特異性」を相対化または否認しようとなさることに対しても疑問を感じます。キリスト教伝道が他の創唱宗教の伝道行為の起源になっていないか? という問いがまずあらかじめ立てられるべきでしょう。
 キリスト教の伝道行為の根拠は「福音」思想であると私は述べましたが、後世、「福音」という思想的土壌のもとに伝道を行うようになった創唱宗教は、少なくとも伝道に関する限り、キリスト教をその範型としているとみなされるべきでしょう。

 むろん、「福音」以外の思想を根拠にして伝道を行う創唱宗教の可能性もかんがえられます。ただし、そのような伝道行為の存在は、キリスト教伝道の「特異性」という私の主張を強化するものであっても、反論するものにはなりません。
 とはいえ、「宗教ってものは、その教えを他人に対して積極的に《伝道》するものだ」という一般通念的なイメージは、キリスト教をその世界史的な起源としていると見てほぼ誤りないものと私は思っています。自然宗教のように特定の土地と不可分に結びついた宗教は伝道の契機を持たず、都市宗教たる世界宗教(キリスト教・仏教・儒教)の時代に伝道は始まるのであり、王族の宗教でも為政者の宗教でもなかったキリスト教だけが福音の積極的契機を持っていたのだからです。

 キリストが生まれて死んだことが、なぜ、単に「福」であるにとどまらず「音」となって響いていったのでしょうか? その点をかんがえる際に忘れてならないのは、「世界の終わりがもうすぐやってくる」という世界終末思想の存在です。
 イエス在世中からパウロが活躍する時代に至る初期キリスト教時代には、自分が生きているうちにも世界の終わりがやってくると信じられていたのだという研究があります。そして、この世界の終末という現実に対する救済の星としてイエスがこの世にあらわれ、終末のさらにその向こう側に永生を置きました。
 イエスの出現とその教えが、「福」にとどまらず「音」にまでならざるを得なかった宗教史的背景とは、すぐにも世界の終わりがやってくるという切迫感だったのです。キリストの教えにおける他者関係が「隣人愛」の一語に集約されるとすれば、すぐにも世界が終わろうとしているときに「福音」を他者に告げることはまぎれもない「隣人愛」の実践でした。伝道と隣人愛の教えとが(奇跡的に)シンクロし得たのは、世界の終わりに直面した最大の危機状況においてだったのです。

 福音という思想は、世界終末思想と不可分であり、それに対する救済の思想の一部として生まれたというのが私の基本理解です。
 ところが、初期教父時代がすぎても世界の終わりは訪れませんでした。たとえ世界終末思想は維持したとしても、実際の世界の終わりは自分たちの時代よりも後代に設定せざるを得なくなり、世界の終わりに対する切迫感は弱まっていきます。そのことは、イエスの「福」は弱めないまでも、「音」(伝道)の根拠は薄れさせていき、伝道と隣人愛とが不一致に陥っていくことを意味しています。

 大航海時代、ローマ教会が世界じゅうに派遣した神父たちの伝道は、そのおおもとにおいては、プロテスタントに奪われてしまった西洋の宗教的支配領域を他の世界において回復するためのものでした。ローマ教会の世界伝道は、プロテスタントの勃興に対抗する宗教的抗争のひとつとしてなされたものです。そこには伝道を隣人愛の教えにシンクロさせようとする配慮はありませんし、そのような動機に基づく以上、航海者たちが他国を植民地化することを批判する契機も持たず、むしろ、それを正当化する動機を持っていました。

 大きく二分しますと、先にも書いたとおり、福音の伝道が隣人愛と結びついていたのはキリスト教がローマ帝国の国教になるまでのことであって、それ以後、両者は次第に分離していき、教義上正当化し得ないような伝道も生まれてきます。
 ところが、大森さんの伝道観にはこうした歴史的区分がなく、初期教父の時代における伝道をそのまま現代まで持ちきたっているようです。しかし、現実の伝道は、世界終末思想と(教会の存在をその核とする)隣人愛の教義との相関項として、歴史的な変遷をたどってきているものです。キリスト教神学において、終末思想・隣人愛・伝道の3者は不可分の構造的連関を持っており、それが現実の歴史状況といかにかかわり合うかによって、伝道のありようも多様なものになっていきます。

 非キリスト者にとって、たとえば大森さんなら大森さんからの伝道が「福音」になり得るかどうかは、その教義の内容が真に「福」であることばかりではなく、その伝道のありようが隣人愛の一形態として「福」の贈与(=「音」)になり得ていることも不可欠です。
 伝道の内部規定をろくすっぽ検討もせぬままキリスト教伝道の歴史を信仰の立場から肯定したりするなら、もはやその伝道からは、いかがわしい新興宗教の伝道や勧誘、ひいてはマインドコントロールとのいかなる差異も失われますし、それら他教の伝道のいかがわしさを批判するための根拠も失います。伝道の原理論なしに歴史上の伝道が語られるべきではないでしょうと私が言うのは、そのためです。

 そして、この点はひじょうに感覚的な言い方しかできませんが、伝道という行為の前提をなすのは、神父ないし牧師がその教義をいかに通暁しているかではなく、信者の信仰生活の具体的なありようなのではないでしょうか? 隣人愛の教えを実践するために特別なことをするとかいう以前に、信者が単に生きてあるというそのありようこそが、伝道という営みの(身体的な)背景をなすのではないでしょうか?

 その意味で言いますと、「信教の自由」を憲法上保障された戦後日本の歴史空間において、日本人キリスト者の「信仰生活」の原型的なイメージは、わたしのような非キリスト者の目に、まだ充分届いていないように思われます。そして、そうした「信仰生活」の原型的イメージなしに、伝道を語ったり、為したりすることはできないのではないか、というのが私の素朴な実感なのです。(了)
 

伝道については時間をかけて考えます

 投稿者:大森  投稿日:2012年10月24日(水)09時02分43秒
返信・引用 編集済
   「まずは、大森さん御自身の信仰とどのような形で伝道という行為が結びつくのか、その点を原理的にはっきりとさせることが先決だろうと思います。」とのご提案をいただきました。

 伝道について、いろいろ考えてみましたが、答えは出ません。
 以前から申し上げているように、私の信仰は、信じながら疑い、疑いながら信じる信仰です。そして、その立場で、私は、宗教を探求してきました。今まで、私は、探求者でした。
 たぶん、もっと安定した信仰がなければ、伝道は、できないでしょう。私は、探求から踏み込んでもう少し信仰を深めるかを考えています。これは、この掲示板だけの問題ではありません。私の現状の人生から、私は、私の信仰を深めることを考えているのです。

 伝道については、急がないとのお話ですので、じっくり考えるしかないと思います。




 
 

伝道はいかにあるべきか(2)

 投稿者:木精  投稿日:2012年 9月20日(木)18時09分27秒
返信・引用
   きのうの大森さんの文章を読ませていただいた第一感は、「あいかわらず、大森さんの信仰と、伝道というテーマとのつながりが見えてこないなあ」ということでした。大森さんのキリスト教論には、伝道という形で他者や外部世界と積極的にかかわっていく原理は語られていませんので、なぜ伝道と迫害のテーマがあのように強い調子で語られるのかがわからないんですね、ひどく浮いているように見えるのです。

 キリシタンの虐殺とか、日本人のキリスト教タブー視といったテーマに入る前に、まずは、大森さん御自身の信仰とどのような形で伝道という行為が結びつくのか、その点を原理的にはっきりとさせることが先決だろうと思います。ただでさえ、ご自身の信仰とは宗派的に対立するカトリック・イエズス会の世界伝道に対して積極的にコミットされているのです。ご自身の「伝道」論をお示しいただかないことには、私の中で「ふたりの大森さん」がひとりになることはありませんし、伝道を語る大森さんを私が既存の教会人のひとりと見ることはその必然的な帰結であるにすぎません。他人から「見られる」というのはそういうことなので、私が見るということに私自身の「誤解」が入り込む余地はありません。

 そのことを前提にした上で、大森さんが取り上げられた家康のキリシタン虐殺事件を私は知りませんでしたので、少し調べたことをご報告しておきます。以下の記述で、私が見落としている重要な事実等がありましたら、その旨お返事くだされば、何度でも考え直すのにやぶさかではありません。

 まず、これは大森さんの事実誤認ではないかと思われるのは、キリスト教を邪宗視して、日本人に強い禁忌意識を植えつけたのは家康ではなく、3代将軍・家光の治世以降のことです。家光の治世において、以前私が書いたような中国における明清の王朝交替、島原の乱、海禁(以前は「鎖国」と呼ばれていたが、今日ではこの語は用いられない)などを背景として、キリスト教を徹底的に弾圧する諸制度が整備され、それが幕末まで続いていきます。
 今日にまで残るキリスト教に対する禁忌意識は家光治世から始まっていることを、まずはご確認いただきたいと思います。

 さかのぼって、家康の晩年には有馬晴信・岡本大八事件(1612年)が起こり、1614年、キリスト教禁令が全国に発布されるに至りました。それにより、キリシタンの国内流刑、海外追放が行われ、また多くの地(天領)で流血の迫害も生じました。
 ただ、翌15年からの豊臣方殲滅戦を控えていたこともあり、キリスト教を禁じはしても、キリスト教徒はすべからく処刑するといった「虐殺」が指示されたわけではありませんでした。「虐殺」が家康の基本方針だったら、わざわざ国内流刑や海外追放をする必要はありません。家康は、自分の家臣団の内部で徹底的なキリシタンのあぶり出しを行いましたが、そこでも、見つかったキリシタンの多くは追放処分にとどまっています。

-------- 五野井隆史『日本キリスト教史』吉川弘文館 1990年
(1612年のキリスト教の)禁令は、「国々御法度」として諸大名に受けとめられたようである。しかし、九州の大名領以外の地において禁令が布告され、迫害が積極的に行われたか否か、明確でない。宣教使の領外追放は豊後・筑前・筑後においてみられたが、キリシタンに対する迫害は有馬領をのぞいては、従来からキリスト教を敵視してきた肥後の加藤氏や平戸松浦氏、大村氏らの領内で引続きみられたにすぎなかった。(202p)

 幕府はなぜ慶長18(1614)年12月にバテレン追放令を(再度)発してキリスト教の禁止を全国に拡大し、とくに京都において大規模な迫害を行ったのであろうか。
 12年3月に施行された禁教令と同年8月6日発令の禁令五箇条によって、キリスト教に対する態度を明確に表明し強化してきた幕府は、翌年4月、全国的禁教と宣教師追放の大筋を検討しはじめ、そのためのプログラムを固めていったようであるが、幕府の最終的政治目標は、大阪城の豊臣氏を倒して反幕勢力を一掃し、強力な幕藩体制を確立することにあったから、大阪方との対決を前に障害物の除去が急がれた。したがって、幕府が豊臣氏を軸とした反幕勢力とキリシタン勢力との結びつきを極度に警戒したことが、慶長18年12月の禁教令発令の一因になったというべきである。(205p)
--------


 家康は、キリスト教を禁じる意思は強く持っていましたが、この時点では、反幕勢力の動向や海外貿易の帰趨(オランダ・イギリスの介入)などとの兼ね合いの中で、たとえキリシタンの処刑事件を起こしたとしても、いわばそれを小出しにしている印象があります。当然、その処刑にも大義名分をつけていたはずで、大森さんが使われている「虐殺」という形容はそぐわないと思います。私たちにとって、この言葉の典型例はやはり「南京大虐殺」ですので。

 『キリスト教史6 バロック時代のキリスト教』(平凡社ライブラリ)の第6章「徳川幕府によるキリスト教の弾圧」でも、(幕府サイドは)、大阪の陣を前にして、「流血を避けようとして(宣教師たちの)国外追放の決定に至った」と明言されています(431p)。「虐殺」というのは、ニュアンスの濃淡を全くつけない皆殺しという意味合いの濃いことばですが、上記引用の文脈に京都での弾圧事件などを置いてみるとき、高度な駆け引きの中でこの事件が利用されているのでは? という印象を受けるのです。

 家康の最大の意思は、豊臣方を滅ぼして天下を統一し、戦国時代そのものを終わらせることでしたから、1614年の禁令が翌15年の冬の陣よりも重いものであったということは考えられません。
 実際には、キリシタン弾圧の流血事件も処刑事件も各地で起きたようです(江戸・京都・長崎など)が、それは無差別的な手当たり次第の弾圧なのではなく、幕府に対して強い抵抗の意思を示す者に対して選択的に行われた可能性が高く、それ以外の外国人宣教使、日本人信者の多くが国外追放の処分に従っています。

 武士というのは、実際には「武士団」という団体のことですが、この団体の長には裁判権があり、たとえば肥前有馬の領主、有馬直純が領内のキリシタンを処刑したとき、それは武士団の惣領による裁判権(刑罰権)の行使に当たりますが、一般に、武士団の惣領による刑罰は非常に重いものです。江戸時代の刑罰の重さは世界一だったと言われますが、その淵源は、やたらと処刑したがる武士団にあったのでしょう。
 この時代の一般の犯罪人の処刑に比べて、キリシタンの処刑が殊さらに厳しかったのかどうかは、具体的に調べてみないとわからない点です。

 現実には、家康の死後の方が、キリシタンの弾圧は明らかに過酷の度を増しています。大阪の陣以後は、幕府による権力の一元的な掌握システムの整備が急務となり、このシステムとキリスト教とが思想的に合致しないことが明確に認識されていったためではないかと思います。
 ところが、一方で、家康死後の時代には、日本から追放された宣教使が殉教を覚悟の上で日本へ再潜入する事例もふえています。そして、キリシタンであることが露見して実際に殉教した者も多数に上りましたが、ただ、これって、どうなのでしょう? これまた大森さんの感覚では、幕府によるキリシタンの「虐殺」に該当するのでしょうか? それ以前に、そもそも、それは正当な「伝道」の行為になおも該当するのでしょうか?

 もしも、それを正当な「伝道」ととらえ、その殉教を「虐殺」によるものと見るのだとしたら、これはちょっと一般社会人の常識感覚が通じない話だなということになってしまいます。それというのも、相手が拒んでいるのに、なおも国内に潜入してくるなら、それはもはやレイプに等しい振る舞いというべきだからです。
 おまけに、当時の宣教師たちには殉教への情熱があったと見られています。キリスト教がローマの国教になる以前の時代に、殉教者は死んで必ず天国に行くという信仰が確立していましたから、幕府の弾圧は、このような輝かしい殉教のための格好の舞台装置にされてしまってもいたのです。

 私は、この種の「伝道」を全否定しています。同じ人と人との関係において、一方が他方に対してこの種の「伝道」を行う権利など誰にもありません。にもかかわらず、宣教師がこのような「伝道」によって命を落とし、みずからの真理と正義と使命を疑うことがなかったのは、かれらの背後にはローマ教皇庁という巨大な権力が控えていたからです。自己をローマという権力と一体化していなかったら、果たして宣教師たちは世界の裏側のちっぽけな島でどれほどのことをなし得たでしょうか?

 昨日の大森さんの投稿には他にも論点が幾つかありますが、今回はテーマをここまでに絞っておきます。
 1つは、大森さんご自身にとっての「伝道」の理論づけをしていただきたいということ。
 もう1つは、江戸時代初期の反キリスト教政策は、家光以前と以後とで細区分した方がよさそうだということ。
 関連して、クリスチャンの弾圧事件は数多く起こったにせよ、それを一まとめに「虐殺」とくくってしまうことには多々疑問があること。大森さんの視点は、「護教」の意図が背後にあるため、視野が狭くなり過ぎていて、異教徒である他者の存在が視界の外へこぼれ落ちているきらいがあり、人と人の相互的な関係の内部で「伝道」がとらえられていない、すなわち、そうした相互性を壊す一方的(権力的)な関係としての「伝道」に対する批判に弱さが感じられるということ。

 お返事はぜんぜん急ぎませんので、これらの点についての大森さんのご見解を伺わせていただければ、議論がかみあってきて、生産的な意見交換になっていくのかなと思います。
 

弁解・再考

 投稿者:大森  投稿日:2012年 9月19日(水)11時12分53秒
返信・引用 編集済
   木精さんにいろいろな指摘を受けました。
 今回のご批判についていろいろ考えましたし、また、調べてみました。

 木精さんは、私を植民地侵略の尖兵としてのキリスト教を擁護する教会人として見られたようですが、それは全くの誤解です。そうした誤解を招いた私の至らなさを感じました。

 今回の批判の大きな原因は、私の認識の甘さにあると思っています。

 まず、言っておきたいのは、徳川家康論以降の私の文章について、教会とのかかわり、他文化を破壊するキリスト教会の歴史肯定から生まれたものと理解されたようですが、それは、間違いです。
 徳川家康論については、全く私の独断的な論理です。私は、自分の教会に帰属意識はほとんどありません。また、私は、今まで接してきたキリスト教世界の文章で一つとして私のように徳川家康を捉えた人は聞いたことがありません。
 私は、キリスト者も誰も言わないから、あえて言ってみたのです。それは、私の中にあるキリスト教禁忌の気持ちを何とかしたいと思ったためです。
 私の中で、具体的な教会への帰属感はなくとも、キリスト教世界全体との漠然とした帰属意識はないとは言えず、その中でそれが生まれたと言えば、そうなのかもしれませんが、私一人で考え主張したことがキリスト教世界とそんなに深いつながりがあるだろうかと思います。

 私は今回の意見の行き違いには、私の認識の不足が大きく影響していたと思っています。
 私は、白人の植民地侵略についての本を読んでいました。植民地侵略の過酷さとキリスト教宣教師の協力についてある程度知識がありました。
 しかし、そうした本の中にも、キリスト教聖職者の伝道の成果についての記述があります。

 例えば、「インディオの破壊についての簡潔な報告」や「インカの反乱」の中でのカトリック聖職者の活動について、植民地侵略との連動について十分記載されていません。
 例えば、「インカの反乱」の中で、ペルーの王族であるユバンキ自身が最後には洗礼を受けており、洗礼について感謝もし、他人にもキリスト教について勧めています。(岩波文庫 151ページ~154ページ)

 また、インディオの破壊を糾弾したラスカサスは、修道士でした。彼は、征服と侵略に反対し続け、また彼の書くところの修道士たちも侵略に反対し、被害を受けています。
 「インディオの破壊についての簡潔な報告」の中には、征服とは別に修道士たちは、現地人をキリスト教に導き、現地人もそれを否定していない記述があります。(岩波文庫94ページ~98ページ)また司祭が国王へ征服への非難の手紙を書いたことも記されています。(103ページ~105ページ)奴隷になったインディオを取り返そうとして、失敗し、現地人に殺された修道士もいます。(112ページ~113ページ)
 ラスカサスは、結辞において次のように書きます。「私ことラスカサスは、現在神の御慈悲によりスペインの宮廷において、インディアスから地獄のような光景が消えてなくなるよう、また、主イエスキリストの血で贖われたあの無数のインディオがなんらなす術なく死んでしまうことのないように努力している。彼らは創造主を知り永遠の救いを得なければならない。」(166ページ)
「スペイン人たちがインディアスに渡り始めてから今日に至るまでずっと、彼らがインディオたちをまるで犬かその他の畜生のようにみなし、キリストの教えを説き広めることの全然関心を示さず、それどころか、聖職者たちに苦しみと迫害を加えて彼らの主な目的である布教を妨害していたということである。」(168ページ )
 こうした記述から、私はある程度、植民地時代のヨーロッパ人のキリスト教宣教師に好意的な評価を持っていました。

 私は、「日本切支丹宗門史」(レオンパジェス)という安土桃山時代のバテレンによるキリシタン側の迫害と殉教の記録も多少読んでおり、家康からの「被害者」の記録も知っていましたので、その知識の影響もありました。

 私の中には、キリスト教宣教師への好意的評価と植民地侵略の連動について、統一した見方がなかったといえます。また現在も混乱した状況にあります。それは知識の指し示す方向が一致していないためです。

 今回、キリスト教の植民地侵略についての本を再読し、また大航海時代のキリスト教伝道について新たに調べてみました。

 イエズス会員による「フィリップ・レクリヴァン著 イエズス会」という本を新たに読んでみました。ここにはイエズス会士の土着信仰に対しての態度について、こう書かれていました。

 「当然ここでも土着信仰を『根絶』すべきか否かが問題となる。神父たちは、自分たちの言葉がインディオに反応しないことに困惑し、土着信仰に対しては、厳しい態度で臨むことを決めた。アコスタの『インディオを救済するために』は、物理的根絶よりも精神的根絶が先であることを表明している」と。
 これを読んで木精さんがイエズス会の何に憤っているのか、ようやくわかりました。イエズス会のこうした態度、他文化への無視、無理解、根絶、破壊、こうしたイエズス会の姿勢に怒っておられたのですね。

 以前、また、いくつかの植民地侵略とそれに加担するキリスト教聖職者、世界的なキリスト教の伝道について、調べて読んでみました。木精さんの批判もその通りだと思う内容もありました。十字軍、植民地侵略の尖兵、侵略の擁護者としてのキリスト教、そこには、愛による伝道など微塵もなく、他文化を悪魔的なものと決めつけ、他文化の破壊を肯定し、略奪、征服、搾取、拷問を擁護していく、強欲で残酷なキリスト教がありました。全くひどいことです。
 その点については木霊さんの意見に合意いたします。

 今回あらたに読んだ本、「キリシタンの時代 高瀬弘一郎」には以下の記述がありました。
 「大航海時代ローマ教皇は、イベリア諸侯に布教保護権を与えたが、同時に未知の世界に航海し、武力で切り開いてそこを奪い取り、植民地として支配し、そこにおいて貿易等を行う独占的権限を授けた。こういった類の世俗的事業が伴って初めて布教保護権が機能しえたと言ってよい。」

 大航海時代のキリスト教宣教師は、直接、暴力に手を染めなくても、背景に同胞の暴力があり、暴力と手を携えて伝道していったという図式はありえるものであり、そういった観点から今後、再読、再考していこうと思いました。
 また、キリスト教宣教師たちの土着宗教への否定や軽蔑は、確かにあり、その姿勢は一貫しています。キリシタン大名、大友氏や高山右近の領内では、寺院や神社の破壊が行われていることを今回始めて知りました。(「キリシタンの世紀」)

 ただ日本の伝道について、キリシタンを虐殺するまでの必要があったのかについては疑問があります。
 キリスト教徒の虐殺と排除がはたして、外国からの侵略の防衛になっていたのでしょうか。なぜなら、キリスト教徒(日本人も外国からの宗教家も)の虐殺は、ヨーロッパのキリスト教国の軍隊を進出させる絶好の大義名分になるからです。「キリスト教徒を守るため、我々は軍隊を差し向け、反キリストと戦う。これは聖戦なのだ。それで勝てば、日本の一部にわが国の統治をおきキリスト教の信仰のできる地方政府をおく」そういってヨーロッパ人は日本への侵略できる。
 しかし、ヨーロッパのキリシタンは侵略の機会を生かさず、動きませんでした。そうしなかったのは、ヨーロッパ諸国に日本征服の意志がなかったか、日本が強いため戦っても勝てる見込みがなかったかのどちらかではないかと思います。
 もし私の言うような状況ならば、日本では、キリスト教を排除せず、虐殺せず、ある程度の監視下におきながら、日本の中でキリスト教信仰を保てたのではないかと考えたりします。私は虐殺は出来る限り避けるべきものだと思っています。

 「江戸幕府が禁教令を発布した時はキリシタン教会側には武力で幕府に抵抗するような動きは、恐らく全くなかったと言ってよい。秀吉の禁令の場合とは大きな差異があるが、やはりそれは端的に行って、豊臣政権と江戸幕府の権力基盤の強さの違いを、イエズス会士が的確に洞察していたことの表れ、と言ってよいであろう。」
 上記の「キリシタンの世紀」にも以上の記述があり、徳川家康は、侵略から身を守る必要がないのに、キリシタンを虐殺したとも思われました。

 しかし、何度も繰り返しになりますが、徳川家康論の出発点は、現代を生きる私の心にあるキリスト教への禁忌の気持ちにあります。私の関心は何より、ここにあります。そして多くの日本人がキリスト教に禁忌の気持ちがあることを感じており、その禁忌の気持ちを説明し排除したいと考えたのが、出発点です。

 木精さんは禁忌の気持ちについて、『それをキリスト教に固有の現象と見るべきではなく、日本人が歴史的に構造化してきた差別意識のひとつのあらわれとして、より大きな文脈でとらえるべきものだと思います。
 大森さんは、江戸時代300年間のマインドコントロールという言い方をされましたが、いえいえ、根はもっと深いところにあるというのが私の見方です。「清いもの」と「汚れたもの」とを潔癖に区別したがる宗教意識が根っこにあって、それがキリスト教やマルクス主義を「汚れたもの」の方へ押し込めているように思います。』とお書きになりました。

 私にとって、納得できる、禁忌の気持ちの説明があれば、徳川家康について、論じる必要はなくなるのですが、上記の木精さんの説明だけでは納得しかねるのです。なぜ、キリスト教が「汚れたものに押し込められたのでしょう。その権力による暴力以外にどんな理由があるのかがわからないのです。

 キリスト教の伝道が長年、征服の尖兵だったことは事実であり否定すべきものだとしても、だからといって、現代の伝道まで否定することはできるでしょうか?

 木精さんは政教分離後の伝道と政教分離前の伝道は違うと言われています。

 例えば、キルケゴールが「死に至る病」を書いたのは教化のためだとキルケゴールは書きました。教化とはキリスト教へ導くことであり、伝道と近い意味でしょう。キルケゴールは、キリスト教の伝道のため、死に至る病を書いたのであり、私は、キルケゴールの伝道のおかげで救われたのです。私は、キルケゴール(および、他の私の好きなキリスト教論者たち)に深く感謝しております。キルケゴールが「死に至る病」を書いたのは、絶望状態にある魂が救われる手伝いをしたいという愛の気持ちゆえと私は信じておりますし、彼の背後には征服しようとする軍隊などはいません。
 こうした伝道は私は決して否定すべきではなく、私ももしできれば、いつかそうしたことができたらうれしいという気持もあります。

 木精さんは現代のキリスト教を政教分離後のキリスト教と定義しておられますが、政教分離後のキリスト教の伝道について否定されていません。私の知る、現代のキリスト教の宣教師や伝道者の多くは、背後に軍隊もなく、軍事的征服の意志もなく、ただ相手が救われたという状態になってほしいとのみ願い、相手が聞く意志がなければ無視されながら、伝道しております。
 私は、そのためには、キリスト教への根拠のない禁忌の気持ちを取り除く必要があるだろうと思います。家康悪魔論は、そのために書いたのです。当時のイエズス会擁護のためではありません。

 また、個人、村、創唱宗教の関係については、認識が甘かったと思っております。木精さんの御意見を参考に再度考えていきたいと思います。
 また、「過去には、その教義の性格上、積極的に伝道されなかった無数の「創唱宗教」が誕生し、消滅していきました。その消滅の原因は、それが他の創唱宗教より劣っていたからでは決してなく、伝道を行う積極的な動機を持たなかったためです。」と書かれていますが、具体的に伝道せず、消えていった創唱宗教とはどのような宗教なのでしょうか、何教なのでしょうか?

「私の宗教観からは、「布教」という行為は、宗教一般にとって普遍的なものでも一般的なものでも全くありません。固有の歴史的文脈に拘束された、ひじょうに特殊キリスト教的な行為です。ところが世のキリスト者はその特殊性をわきまえておらず、忘れ果てているのが常です。」
 私は、前回の書き込みで、浄土真宗も、幸福の科学も、天理教も、イスラム教も布教してきた、していると書きました。私の知る限り、これに創価学会を加えてよいでしょう。
 浄土真宗は村という集団へ布教したかもしれませんが、集団に対してでも布教は、布教でしょう。安土桃山時代のイエズス会者も長崎で村への布教をしました。
 こうした宗教が布教しているなら、布教(伝道)が、「ひじょうに特殊キリスト教的な行為」とは言えないのではないでしょうか?

『過去には、その教義の性格上、積極的に伝道されなかった無数の「創唱宗教」が誕生し、消滅していきました。』
 すみません。上記の創唱宗教が具体的にどのような宗教を指すのか教えて下さい。
 

伝道はいかにあるべきか

 投稿者:木精  投稿日:2012年 9月 7日(金)14時39分55秒
返信・引用
   徳川家康論以降の最近の大森さんの文章を、私は、それ以前に書かれた長文のキリスト教論とは別の人格によって書かれているものと読んでいます。ふたりの大森さんが、完全に分離はしないながらも異なる2つの根から生じた姿として、今、私の前にあらわれています。ひとりは大森さんご自身の孤独の中から生まれ、もうひとりは、私が知るところのない、キリスト教会とのかかわりの中から生まれています。
 あらかじめ色分けしておきますと、これまでのキリスト教論を私は高く評価しますが、家康論以降の文章は評価いたしかねます。

 まずは用語の整理から。「布教」ではなく「伝道」または「宣教」を使われたい由、以後、そのお申し出に従います。私の中ではどの語を用いても指し示されるものは変わりませんので、「伝道」を使うことにしましょう。

 伝道には2種類あります。政治権力を(たとえ無意識にであっても)志向する、ないし、それと結託する伝道と、しない伝道です。そして、今日における伝道はいかなるものであるべきか、その問題意識を真摯に持ち続けている限り、前者の伝道は否定されます。大航海時代のイエズス会の世界伝道も、当然、否定されます。
 キリスト教が、大森さんの言われる「暴力のない愛のみの宗教」であるなら、その規定による限り、ローマ国教化以後のキリスト教の伝道は「暴力」そのものです。その伝道行為が、政治権力たろうとする意思または政治権力と結託しようとする意思を(たとえ無意識にせよ)伴っている限り、それは決して「非暴力」と呼ぶことはできないからです。

 伝道という行為は「創唱宗教一般が好む」という大森さんのご指摘は、大森さんの孤独から出たものではなく、教会人たるもうひとりの大森さんから出ており、これは、単なる思いつきで書かれたのではないなら、大きな誤認と言わなくてはなりません。
 伝道を好むのは「創唱宗教一般」なのでは決してありません。それを好むのは、政教一致型の、無意識のうちにも政治権力を志向してしまうタイプの創唱宗教に限られます。過去には、その教義の性格上、積極的に伝道されなかった無数の「創唱宗教」が誕生し、消滅していきました。その消滅の原因は、それが他の創唱宗教より劣っていたからでは決してなく、伝道を行う積極的な動機を持たなかったためです。
 伝道を好む創唱宗教とは、実際には、その宗教権力が時の政治権力と結託することを好んでいるのであって、政治権力の混入こそが、その伝道を「暴力」化してしまうのです。戦国時代に日本へやってきたイエズス会士が「直接武力の力をかりて宣教したという話は聞きません」と大森さんは言われますが、「暴力」という概念は、直接的な武力に矮小化されるべきものではなく、広く政治権力の後ろ盾による暗黙のプレッシャーなどを包含しています。

 また、創唱宗教は「個人の信仰への決断が立脚基盤」であるとの大森さんのご指摘は、「個人」という語が未規定のまま使われているため、きちんとした一個の陳述にはなり得ていないと思います。
 私は、日本宗教BBSで、歴史上の「個人」の多様性や構造変化について多くを語ってきました。あいにく大森さんから応答をいただいていませんが、単に「共同体」と「個人」の二項対立概念を使うだけでは、両者の歴史上の実態はとらえられないと思います。
 土着共同体の成員の「個人」意識にも歴史上の巨大な変容があることは、村落における自然‐共同体から組‐共同体への構造変化として既にお示ししています。自然‐共同体は、一般に、個人よりも共同体が上位にある社会システムという図式でとらえられますが、組‐共同体においては個人の重みがはるかに増していて、そう図式的に共同体の方が個人よりも上位にあるとは言い切れない、はるかに複雑な様相を呈しています。

 逆に、「創唱宗教は一般に個人の宗教である」という通念も、歴史の現実に照らす限り、もっときめ細かな見方を必要としています。歴史的には、創唱宗教もまた「共同体の宗教」の歴史段階を経た後、「個人の宗教」に変質していったと見るべきだと思います。
 たとえば、初期の浄土真宗の農村部における浸透は、村ごと真宗に入信するという形態をとっており、個人の信仰などでは全くありません。他方、都市部においては個人の信仰の割合が高まるようにも見えますが、実際には同業組合が組合ごと加入する形が一般的なのであって、大森さんがイメージしていらっしゃるような「個人の信仰」とは極めて異質です。真宗もまた、その出発の当初は「共同体の宗教」であることを教団の骨格としていたのです。

 『神々の明治維新』のあとがきを読みますと、安丸先生の田舎の富山の農村地帯における真宗の信仰も、典型的な「共同体の創唱宗教」であって、それが明治以後に至るまで確固として継承されてきていることがわかります。江戸時代の幕府による宗門統制は、檀家制度によく見られるように、創唱宗教の個人宗教化を抑制し、擬似的な共同体の宗教の性質をことさらに付与していったように思われます。

 また、長崎のキリシタン農民も、村ごとキリスト教に入信しています。それはあくまでも共同体の宗教であって、個人の宗教なのではありません。そのため、大森さんのキリスト教神学を長崎の隠れキリシタンに語ったところで、かれらはそれを一言も理解できませんし、かれらの信仰に大森さんが耳を傾けたなら、これのどこがキリスト教なのかといぶかしむことになるはずです。
 歴史的には、創唱宗教の教線拡張の過程においては、共同体がそれまでの伝統的な自然宗教から創唱宗教へと村ごと乗りかえるという段階があるので、いきなり「個人の宗教」がこの世へ出現するわけではありません。また、鎌倉仏教の登場以前においても、仏教の地方への浸透過程は、権力側が田舎へ仏教を押しつけるという側面もないではありませんが、実際には、地方の豪族がみずから中央の寺院を勧請するケースも多く、一色に塗りつぶした見方はできないのが現実です。(岩波新書の『神仏習合』を見ますと、地方の側の仏教の自発的受容の側面がよくわかります。)

 伝道する側の属性としての政治権力は、それが伝道者によって一方的に行使されるなら「暴力」以外のものではあり得ませんが、その「暴力」を積極的・肯定的に受容したいと思っている側から見れば、それは、前回私が強調したところの「文化」として受容されます。受容者の側は、大森さんが言われるような教義や宗教的真理などの精神的価値だけをありがたがるのではなく、その精神的価値を包含する全体性としての文化を受容するのです。
 政教一致型の創唱宗教は、宗教的価値と文化を分離することができないものとしてあり、精神と文物がトータルで受容されるのが常態であって、キリスト教も何らその例外ではありません。

 日本の農村共同体が、伝統的な自然宗教にかえて、村ごと特定の創唱宗教に乗りかえるとき、そこには、大森さんが言われるように、伝統社会の危機状況が背景にあります。その危機の最大のエポックをなすのは、以前にも書いたことですが、中近世以降の都市及び商業・交通の肥大化と、それに伴う農村の都市化・貨幣経済化だろうと思います。これに対応する形で、農村共同体は、「自然‐共同体」から「組‐共同体」へと再編成されていきました。中近世におけるそうした巨大な歴史変動が、自然宗教の世界へ創唱宗教が浸透していく背景をなしているものと思います。

 その際、それらの変動と並行して、農民の「個人」化の傾向も次第に強まっていきますが、この点については注意が必要だと思います。
 現代日本語で「個人」というとき、それは、まずとりあえず、明治以前まではさかのぼらない概念なのだと決めてかかってしまった方が、誤りがより少なくなります。明治以前の日本人がしだいに「個人」化の傾向を強めていったことは確かですが、かといって、明治以前の「個人」と以後の「個人」を同列視することには大きな危険が伴います。
 無難なのは、「個人」というくくり方を避けて、「都市民」と呼ぶことだろうと思います。「都市民」は、今日の「個人」に接近しているとはいっても、現代人には想像もつかないほど「共同体」からの拘束を強く受けています。
 その意味で、真宗を初めとする鎌倉新仏教のような、中近世に教線を拡大する日本の主要な創唱宗教は、「個人の宗教」と見るよりも、農村の都市化傾向をも包含する「都市民の宗教」ととらえていく方が、誤りがより少ないのではないかと私は思っています。

 ひるがえって、私は、キリスト教もまたこれを「都市の宗教」と見ています。
 キリスト教は、ユダヤ民族から離脱することによってその産声を上げるのであって、大森さんの言われる「出自から言えば、キリスト教はユダヤ人の宗教です」という見方に、私は重きを置いていません。たとえ出自がユダヤであっても、その教義の展開はユダヤ性の自己否定に立脚しているのであり、出自よりも、その出自を自己否定していることの方がはるかに重い事実です。

 パウロによる割礼の廃止は、キリスト教がユダヤ民族の民族性に依拠せず、ローマ帝国の都市民に定位する宗教であることを宣言したものです。割礼の廃止が象徴しているのは、キリスト教による、ユダヤという出自の自己否定です。
 そのため、大森さんがお書きになっているとおり、キリスト教へ入信するのに、ユダヤ人の民族性や文化を理解・尊重する必要はありません。必要なのはローマ世界に対する基本理解であり、ローマ帝国の世界秩序に対する尊重です。使徒たちの伝道の後、キリスト教はローマ帝国の宗教として教線を拡大していくのだからです。

 ですから、キリスト教に入信するのに、ユダヤの民族性や文化を理解する必要がないことは、大森さんが言われるような、信仰へ入ることと文化理解とが無縁であるということの証明にはなりません。
 大森さんにとってのキリスト教は、政教分離後のキリスト教ですが、近代以前のキリスト教は、基本的に政教一致型でした。後代において、たとえローマ教皇庁がヨーロッパの政治的な王権とは分離していたとしても、教皇庁それ自体がひとつの巨大な政治権力だったのですから、それは依然として政教一致型に属しています。

 私は、大森さんの言われる、文化理解とは無縁な形の入信というものなどあり得ないと言っているのではありません。そうした入信の形態は、政教分離を宗教のアプリオリな本質規定とするようになった時代以後にのみ可能なものです。日本でいえば、戦後の政教分離体制以後のことです。戦前の場合は、日本の政教分離はきわめて不徹底であり、宗教は、それと文化とを明確に分離することのできないものとしてありました。
 歴史学者の黒田俊雄先生によれば、日本中世の仏教教団は、当時の政治体制である「権門体制」を構成する主要メンバーの一人でした(岩波新書『寺社勢力』)。その場合、たとえば叡山へ入るのに、叡山の文化理解は必須です。文化理解なしには、教義の理解などあり得ません。
 大森さんの認識は、ご自身の経験に立脚したものだろうとは思いますが、それを政教一致時代の宗教にそのまま適用することには無理があると思います。

 なお、付言しておきますと、戦国時代の武士が、イエズス会士を好奇のまなざしで好意的に迎え入れた理由については、すでに前回書いておきました。繰り返しますと、世界の裏側から単身で日本へやってくるような行動力や冒険心、そしてそれを支える高度な技術や文化が、下克上の武士の時代のメンタリティーにぴったり合致したことが最大の要因だと思います。日本の武士が、キリスト教信仰の崇高さに驚嘆したとかいった話なのではありません。
 また、戦国時代の領主は、多くの家来の生殺与奪の権を一身に握る権力者ですから、この「権力の一身集中」は、ぱっと見たところ、あたかもその武士が「個人」であるかのように見えさせます。しかし、現代日本語における近代的な「個人」とは、いかなる権力とも無関係にその人間を「個人」としてとらえるものであり、このような「個人」の原理は、ひとりの人間への「権力の一身集中」とは対立さえするものです。戦国時代の武士を、現代日本語における「個人」に含めてしまうようなとらえ方は、当を得たものではありません。

 さて、さいごに、私が冒頭で、孤独な大森さんと教会人の大森さんのふたりがいると指摘した点について触れておきます。

 徳川家康を「反キリストの悪魔的人物」と見たり、戦国時代に訪日したイエズス会を擁護したりする大森さんは、政教一致型の、ろこつに政治権力と結託するキリスト教の体質をむきだしになさっています。それは、恐らく、大森さんが日本の教会とのかかわりの中で、いわば身体的に自己のものにしてしまったキリスト教でしょう。
 それは、キルケゴールを通して入信に至ったという、大森さんの孤独な、政教分離型のキリスト教とは、まったく矛盾し合っています。「暴力のない愛のみの宗教」という語は、政教分離型のキリスト教にのみ適用可能であって、それ自体が政治そのものであるローマ教会には決して適用され得ないものです。

 大森さんの孤独と、教会人としての大森さんとは、きちんと内部対話を行うなら、必ずや巨大な矛盾に逢着しますが、人間という存在はふしぎなもので、そうした巨大な矛盾を抱え込んだ状態がちょうどよかったりもします。
 私はキリスト者ではありませんので、そうした矛盾が手にとるように見え、教会人としての大森さんの最近のご発言に、私はじぶんが評価するキリスト教を感じ取ることができず、逆に、政教一致型の「暴力」をしか感じ取れませんので、苦情を申し立てているわけです。

 伝道のテーマについて、大森さんは、話が「新たな展開」に入ってしまったと言われますが、私はそのようには感じていません。ヨブ記をめぐって、「実践」ということが大きなテーマになったことはご記憶のことと思いますが、キリスト教における伝道もまた「実践」に深くかかわるテーマですから、私は、ヨブ記についてやりとりしたのと全く同じ地点からこれを書いています。

 大森さんの孤独に出立するキリスト教論は、まだ、実践や伝道のテーマについての考察を欠いています。今、大森さんは、それらのテーマを自分の孤独に立脚して考えるのではなく、それらについては教会の論理を無批判に受け入れてしまうという便法をとられています。ふたりの大森さんがいるというのは、このことです。
 両者の原理的な差異は、すでに指摘したとおり、政教分離を貫き通すか、政教一致に逆戻りしてしまうかです。
 徳川家康を「反キリストの悪魔的人物」と見ることは、実は、政教一致型の、じぶんが政治権力であることは当たり前という感覚を持ったキリスト教に固有のものです。敵を敵と見ることはキリスト教も許容していますが、敵を敵と見ながらも、それを隣人愛の対象から除外しないのがキリスト教の真骨頂であって、その立場からは、家康を悪魔視するという言説は出てこないと私は思います。そもそも、家康はキリスト教について何一つ知らないも同然なのですから、そうした人物が「反キリスト」になれるはずもありません。

 私が一つ大森さんに希望したいのは、ご自身の孤独なキリスト教をさらに展開し、実践や伝道についての筋道だった考察を示していただきたいということです。教会を否定せよなどと言うつもりは全くありませんが、ただ、既存の教会の論理に依存していると私の目に映る部分については、私は、歯に衣着せずに批判いたします。既存の教会をも生かし、大森さんの孤独なキリスト教をも生かす、そんな実践論や伝道論が生まれることを期待しています。
 

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